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いじめと虐待は大人の人権意識の問題

いじめや虐待の問題について考え続けています。

わたしは子供のときいじめを受けていた側でした。もしかしたらそう思っていたのは自分だけで、わたしにいじめられている、と思っていたクラスメイトもいたかもしれません。だからニュースを聞いていて他人事と思えないのです。

虐待についても、こどもを育てる立場の母親として、自分が虐待されて育った20代のシングルマザーだったら、とか考えると他人事とは思えません。

だから、「いじめる側に厳罰」とか、「虐待する親、大人は鬼畜」とか決め付ける報道の浅薄さに腹が立つのです。

そんななか、たまたまこんな団体があることをしりました。CAP-JAPAN

この団体は、「こどもへのエンパワメント」「人権意識」「コミュニティ」を三本柱として活動しているようです。このページを読んだだけでも、ほんとうにすっきりしてきたし、勇気をもらう思いでした。

いじめや虐待は最近出てきた問題のように取り扱われているけれど、昔からあった問題だと思います。実際親による暴力は昔のほうがひどかったし、少年犯罪の数だって、昔から比べれば劇的に減少しているのです。http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html

だからむやみに「昔のほうが良かった」などという政治家やコメンテータの言葉を鵜呑みにしてはならないのです。

虐待だって、以前だったら「事故」で扱われていたものが、虐待と認識されるようになって表面に出ているだけかもしれないのです。

いじめの被害者は「弱者」だったり、「先生の側につくいい子ぶりっ子」だったり「異質な存在」だったり色々です。私の場合は発端は祖母や母が赤いランドセルは「シックでない」と思って私に黒の皮のランドセルを持たせたことだったように思います。みんながリボンのついたかわいい紺のスーツで入学式に出席する中、「実用的でない」と私の母はデニムの上下を私に着せました。

そのように、何かと「個性的であることが善」であるという家庭に育ったわたしは、クラスになじむことはできませんでした。自分の考えを「口に出して言う」ように育てられたわたしは、どうしても教室で悪目立ちをしてしまいました。

そんなわたしは「シカト」されたり、靴を隠されたり、クラスのほぼ全員に囲まれて汚水の入ったモップの水を浴びせられたり、ハンパなものではありませんでした。

それは30年も前のことですから、今の子供たちがどんな理由でいじめられ、いじめをするのか、今のことをわかっているわけではありません。

ただ、「弱いから、劣っているから、異質だから、目立ったいるから、欠点があるから、ムカツクから、、、、」という理由で、ほかのひとに嫌な思いをさせたり、傷つけたり、暴力を振るったり、乱暴な言葉をかけてはいけないんだよ、、ということを、繰り返し社会として認識しているでしょうか。

「加害者」「被害者」として線引きして裁いたとしても、本当の問題は解決しないのです。わたしはとても荒れた時代の小中学生でした。その中で一目おかれていた先生たちは、いじめら手いる子供にも、いじめる側にも、時間をとって、話をきいてやり、威厳を持って、でも「きみたちは全員特別、全員大事なんだ」と包み込んでくれる先生たちでした。

そういうおとなたちもいる、ということで、わたしは希望を持つことが出来、つらい思春期を乗り越えることができました。

「人権」という言葉は最近とてもネガティブな含みを持って、あまり大事にされなくなってしまった気がします。でも、いじめをする人、他の人に暴力を振るう人はほとんど、「自分は尊敬されるのに値する人間である。同じように他の人(自分のこども)の心、いのち、からだも大切である」と思えない人たちだと思うのです。自尊心が無い人、自信が無い人、不安な人が他の人を傷つけたり暴力をふるったりするのです。

そういう人は過去、親や教師やまわりの人に、大事にされなかったり、ないがしろにされたり、きちんとしつけてもらうかわりに放任されたり、暴力をふるわれたりした、おとなやこどもたちだと思うのです。

わたしが中学生のとき、社会の先生は人権について教えるとき、これを全員に暗証させました。だから今でも「憲法11条」ってすぐに出てきます。ほんとうに感謝です。

さあ、みなさんもご一緒に。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

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コメント

いじめ問題、深刻ですよね。海外から日本の新聞を読んでいると、いじめの関連記事が、多分日本で読むよりも一際目立つように思います。

どこの国でも多少のこういった問題はあると思うんだけど、やっぱり今の日本の状況は本当に考えさせられます。早くこういった問題が解決されて、安心して子供たちを学校へ送り出せるようになって欲しいなあ。

新聞を読むたびに心痛めています。

投稿: Hawaiian Sky | 2006年12月 2日 (土) 19時22分

Skyさん、
ほんとうに心が痛みますよね。
でもおそらくいまいじめの記事が目立つのは、「教育基本法改正」というアジェンダのために、今まで隠れていた問題をメディアが意図的に報道している、という面はあると思います。
でも夫の話を聞く限り、カリフォルニアでは皆移民、皆混血で、夫も「ハーフ」だと意識したこともほとんどなかったということです。日本の「他者を排除」する文化も徐々に変わっていけると信じたいですよね。

投稿: みーぽん | 2006年12月 5日 (火) 13時02分

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